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名田 正敏(なだ まさとし)

1931年山口県生まれ

元ウェスティンホテル大阪顧客部長
元プラザオーサカ取締役総支配人
元名声会名誉会長

講演可能地域
全国
主な講演テーマ
「心の絆を求めて30数年~ホテルマンの心を磨け」
「お客様との心のふれあい~生まれ変わってもホテルマンに」
経歴
山口県の貧しい漁村に生まれ、小学校を卒業して水産講習所に入ったものの家の経済事情により中退、魚の仲買見習になる。だんだんと魚が獲れなくなり、29歳の時に退職して大阪に職を求めた。働いていた倉庫会社が郊外に移転し跡地に大阪府や大阪市、大手銀行などが出資したホテルが建つことになり、大阪における最高グレードのホテルとしてスタートしたこの大阪ロイヤルホテルに移ることになったのは34歳の時であった。配属された部署はドアマンと組んで働く配車係。ドアマンはホテルに着いたお客様に最初に出会うため、長身で何ヶ国語かを話す「格好いい人」を配する。同年輩のホテルマンと比べて16年も遅れ、学歴もなく身長も157センチで日本語しかできないためである。小学校卒業で、年齢も行っている、経験もない、出世は望むべくもなく、大きい格差に続けるべきか転職すべきか悩んでいるとき上司より「自分の土俵を作れ、人々との関わりが大事な仕事なのでお客様との心の結びつきにおいては誰にも負けない存在になれ。」と言われ、休みになるとホテルをよく利用する企業400社を訪ねて駐車場の出入口に立った。そして顧客4000人の顔と名前や出身地、出身校、家族構成、趣味嗜好に加えて、運転手の顔、車種とナンバーも覚えた。酒や食事の好み、肉の焼き加減までリストにまとめシェフに耳打ちする細やかな心配りにお客様は感動した。カーサービス係の責任者になり、ロイヤルホテルを代表するドアマンになっていった。営業マンが年間7~8000万円の仕事を取ってくる時に、玄関脇に立っているだけで多い時は4億円もの仕事が入ってきた。トラブル処理にも常に頭の低い誠心誠意を尽くす姿勢はホテルのグレードも高めていった。他の一流ホテルには「垂涎の的」の存在となった。ホテルプラザ、プラザオーサカ、新神戸オリエンタルホテルを経て最後のウェスティンホテル大阪を引退した平成8年1月には多くの人々がお別れのパーティーを開いてくれた。いつもはパーティーの裏方であるドアマンがパーティーの主役になることはあり得ない、「伝説のドアマン」と呼ばれる所以である。そこでの挨拶の内容は「人に喜ばれることをする。私の人生はただそれだけでした。学歴があったのでもなく、語学に優れていたのでもなく、何か特殊な技能を持っていた訳でもなく、ただの配車係に過ぎませんでした。それが上司に助言されて、人のお役に立ちたいと考えるようになり、そのことに専念してきました。すると人に喜んでいただけるにつれ、私も用いられるようになり、とうとう一流ホテルの副支配人までなれたのです。だから、私は思います。人のお役に立てているかどうか…それがすべてだと」。その後は、接客法を学び合う「名声会」を作り、平成14年まで名誉会長を務めた。作家・神渡良平氏により「伝説のドアマン」として月刊「致知」に連載で紹介された。

 

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